展転白書

作曲面、日常とウェブ上でのやりとりについての反省や見直しを行う個人的そして自戒的な記録。

曲書けず。躁鬱のような、とある周期。

つべにて自主制作の映像を投稿している方々にコンタクトを取ってみようとも思ってはいるのだが、勇気が出ない。誰かと一緒にひとつの作品を作ってみたいという望みがあるにもかかわらず、誰にも伝えることが出来ない。怖い。失敗に対する恐れではない。人に話しかけることにも抵抗はない。なのに出来ない。しない。

いい加減、自分で自分の背中を押すことに対して言い訳を並べるのはやめるべきである。甘ったれた人生。非協力的に過ごした学生時代と、人間関係を軽視しすぎた20代前半。経験上で思い出せる全ての甘え、そのつけが回ってきたのだろうか。ひとつひとつの通過点で堕落していた当時の記憶が虚しく蘇る。最近では挨拶する際にも「無視されるのでは?」といった恐怖を抱く始末。いい加減にしろ。甘えるな。みんな苦労しているに決まっている。私だけではないはず。

 

曲が書けん笑。

2時間DTMもお題が難しかったため挑戦せず。誰にも相手にされないような、自己満足の作品ばかりが量産されている私の現実。まじでやばい。

やはり提供という形をとってみるしかないのだろうか。共同制作となると、どういった手順で作品を作っていくのだろう。相方の作ったモノを引き立て、さらに私が表現したいことが混在したような音楽。作れるのだろうか、私に。

 

横田進、Nujabes、イーヴリン・フィッシャー、イメルダ・メイ、奥田民生阿部義晴エリック・サティ等々、私個人としては多面的に音楽を聴いてきたつもりでいるが、肝心なところの「私の表現したい音楽」がしっかりと固まっていない気がする。いや、固めていると思ってはいるのだが、自信を持つことができていない。考えても考えても、結局いつもよく分からなくなる。仮の結論を出すしかなく、しかし釈然としない要素があるのだろう曲作りに集中しきれない日々が続く。まるで躁鬱のように「集中できる日々」と「集中できない日々」が不規則な周期で生活を支配してくる。もっといろんな音楽を聴けば良いのだろうか。来週の2時間DTMのお題に期待したい。

 

話は変わるが、私は相当他人から舐められ易いのだなと思うやりとりがあった。不快な笑い方と言い方をされた。思い返すと、昔から上から目線で何かを言われることが多かったような気がしてきた。小学生5年の頃、担任の教師に対してクラスメイトたちは基本タメ口で話しかけていた。だがある日、恐る恐る私もタメ口で話しかけてみたところ「年上には敬語を使え」と怒られた。今にして思えば先生が正しかったが、なんで私だけ指摘を受けたのだろうかという疑問が無いわけではない。ちょくちょくそんなケースがあった。何がいけないのだろうか。仕草か?髪型か?視線か?

 

昨日久々に東京在住の友人と再会し、色々話をした。あまり眠ることが出来ず今日も疲れているのでそろそろ休むことにする。特にこれといった記録もなかったが、仕方ない。一応、自身の曲を貼っておく。


【インスト】SketchBook

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