展転白書

作曲面、日常とウェブ上でのやりとりについての反省や見直しを行う個人的そして自戒的な記録。

今後の展開

作曲自体はともかく、公開にあたっての意識が非常に低い。

後に書くが私自身の性格が問題であり、故の行動・やる気に問題がある。

改善できる余地はあれど自信はない。

個人的な日記を付けているのは、現在の自分と当時の自分を比べるに当たって最も楽な手段としてであり、非公開のため税金やら性癖やらについてグチグチダラダラと綴ることが可能なためである。

しかし曲のリスナーを増やす方法としてブログ開設を挙げる人が多くおり、実際プロアマ問わず作曲者のブログは参考データとしてもひとつの娯楽サイトとしても面白く、ある程度リスナー数の増加に貢献している。

やってみても良いのかなと思い、この度開設してみた。

ただし前述のようなブログで人を惹きつけるために必要な物は、僅かな専門知識とそれを上手く伝える文章力だろう。

残念ながら私は大衆を引き付ける知識やエンターテインメント性は持っていない。付ける気もない。うん。

 

よって他者にとっては作曲ひいては日常生活の些細な参考にもならない独り言となる危険がある。

影響を受けた皮かむりじゃなしに、そこは避けて通りたい。

我儘であるが、リスナーを増やすための営業として考えなければ所詮は個人のブログなので、この際スマホでも手軽に見直すことが出来る利点を活かし”日常や作曲、ウェブ上でのやりとりについての反省や見直しを行う個人的そして自戒的な記録”として利用することにした(多分他にも方法があるけど面倒だからいーや)。

ボタンひとつで保存できるのは楽で良い。

 

 

今現在、多くのDTMerと呼ばれる人たちが多量のリスナーやフォロワーを獲得している一方、私は劣りに劣っている。

これは私のツイートと曲が他者の目に留まる機会が非常に少ないということになる。

①リスナーを増やすために必要なこと

  • ツイッターでの通知を怠らない
  • つべの場合、アイコンや記号などを使いサムネに整合性を出す
  • 曲の特徴について一言つけ加える
  • etc

②フォロワーを増やすために必要なこと。

  • 日常に起きたことや思ったことを積極的につぶやき共感を集める
  • 潮流や政治、世情についての持論をつぶやく
  • さっき見た良い話笑を創作する

自由に憧れて4年勤めた工場をやめたはずが、自身の性に合わないことを次々とこなさなければならない段階であることが明白となった。

やればいいのにと言われることは想像に難くないが、苦手意識はそれぞれなのだ。

今ようつべを中心に自作曲を公開している日々を送っているが、どうも欲がなく、別に聞きたい人だけが聞けばよいと思っている節がある。

これは良くない。

”音楽に造詣が深い人、そうでない人にとって、ほぼ等しい距離で触れることが出来る音楽”、”理論的な束縛を考慮しない音楽”などゴチャゴチャ理想を抱えているにも関わらず、多くの人に聞いてもらおうという意欲が低すぎる。

変われるだろうか、この歳で。

小学生のころはアホヅラで近所を走り回っていたのだが、中学高校になり友人関係における人生観の多様化を考慮に入れた生活が閉塞感を生んだ。

よくあるパターンだと思っていたのだが、同世代の者たちは普通に上手くやっている割合が多いらしい。

同類をDTMerに求めても無駄だろう。

ツイッターを見る限りでは皆わりと積極的に動き回っている。まあそうでなければ不特定多数から見える所に出てきてないか。

そんなにフレキシブルかつエネルギッシュに生活することは私には真似できない。

ゲームを買ったとして、今の時代的に「実況でもして小遣い稼いでみれば?」と言われたとしても、興味のある数少ない娯楽を私の経済状況とリンクさせて考え行動するのは疲れる。

 

成長とは克服のことである、とすれば辛い。

成長とは辛いものか。否、目的を持ったことで辛い道が付随したのか。

まーたゴチャゴチャ言ってんなコイツ。

 

③今後の展開、取るべき行動

2時間DTMに参加している。

結果、プロフィールへのアクセスやツイートに対する反応が参加前に比べて飛躍的に増えた。

これは継続すべきイベントである。

2時間ではミキシングにかける時間をかなり考慮しなければならず、さらに与えられた課題に対してどうしても印象主義的な作品は作りにくい場合がある。

感情に刺激を与える情緒的なメロディを考えることが決定的に苦手且つこれに関しては表現を深めたいと思わないので、テーマによってはスルーするのも別に良いものとする。

また平日は働いているため(バイトだが)時間がなく、土日に与えられる課題をこなしていく。

①に関しては問題ないが、単体では結果が期待できない。

というのも、丁度2年前から半年間、働かずに作曲活動を行っていたのだが、支持者が全くいない状態ではやはり誰も聞いてはくれなかった。

相乗効果に期待をするならば、肝心なのはやはり②である。

ツイッターを積極的に活用する。自分の作品ではなく、気持ちを伝える。

気が向かない。

お得意先を集めるためにマイクを持って感傷的な街頭演説をするような気分に近い。

同窓会や飲み会に行きたくない層の方は、この気持ちがわかるのではないだろうかと勝手に思っている。

それは自身の生活に影響を及ぼす危険を孕んでいるような気がするのだ。

思い通りに曲を作ることができ、代わりに大成するチャンスがなくともある程度の平穏が約束された毎日。

そんな規則正しい生活を支えているのは、平凡ならがに穏やかな心身である。

この心身状態を誰かに弄りつつかれることは、時に友人であっても我慢ならないのだ。

それは具体的にどういう状況か。

私の理屈ありきの行動を、根拠のない意見で強く否定された場合である。

人生経験の長い人に対して、私は聴きたいことがない訳ではない。

言ってしまえば説教を受けることも苦ではない。大概の場合、立派な根拠を提示してくださるだめである(理不尽でない人としか酒を飲んだことがないからか?)。

だが出来れば行きたくはないというのが本音である。

無関係以上友人以下。フワフワとした関係である以上、やはり己の思想に触れられることは快くない。

自身を見せたらつつかれる。だから見せたくないのだ。

東京オリンピックについてこう思う、死刑制度についてああ思うなどは、既にある意見の中に私なりの答えがすでにあることが多いし、さっき見た高校生のカップルがこう言ってた的な出来事なんてねーし考えねーよ笑。

つまり②をクリアするためには天邪鬼を殺す必要があり、今まで消極的であった側面を出していくしかない。ひょっとしたらそんな人生の方が楽なのかもしれない。

たとえツイッター上でのみ仮面を被れば良いとしても耐えられないだろう。

どないせーっちゅーんど。

 

とにかく2時間DTMは続けようと思う。

他に手ごろなイベントはないかも調べてみるか。

 

アルコールを注ぎながら書いたため、支離滅裂な文章になっていないか心配であるが、こういう具合に記録していく方が気が楽だ。

 

最後に、現在のつべの登録者数とツイッターのフォロワー数を記録しておく。

辛いけど続けていく。

 

チャンネル登録者数:32人

フォロワー数:74人