展転白書

作曲面、日常とウェブ上でのやりとりについての反省や見直しを行う個人的そして自戒的な記録。

Youtubeでの交流

自主制作した映像作品を投稿している方へ、先週フリートークタブにてコメントを送った。あいさつを交わし、作品に感動した旨を伝えたところ返信が来た。結果としては、お互い頑張りましょうという励まし合いに終わった。共同制作しましょうとは書けなかった。もう少し、一人で頑張ろうと思う。

 

月別推移を見ると、作曲時間が短くなってきている。

 

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近所で花火が上がってる

子供の頃、町内では割と大きめな公園に”まるつぼ公園”という場所があり、8月初週の土日にはそこで盆踊りがあるため毎年行っていた。

近所の幼馴染たちと共に、催し物や踊りを傍目に遊具で遊んでいたのをよく覚えている。

懐かしい。なぜあの頃よりも自由であるはずなのに、現在まるで満足のいかない日々を送るようになってしまったのか。満たされていたものが、今無いからか。なぜ音楽という得体の知れないものに惚れてしまったのだろうか。考えれば考えるほど、普段輪郭のみ捉えることが出来る自分自身の欠点が、現代社会を生きて行く上では致命的な足枷になっているのではないかという明確化された不安が募り止まらなくなる。加速し続ける憂いはそれを晴らすための改善案をまとめるだけの余裕さえ容赦なく埋め尽くし、私は嫌悪を覚え、考えることを放棄する。そしていつも「死にたい」などという言葉を容易に連想し、なけなしの金で酒を買う暮らしを送るのだ。

もっと良い音源を買う方が先ではないのか。新しいパソコンを買うも良いだろう。今ある環境に感謝し、もっと良質な作品を作るほうが良いに決まっているのに。

 

Youtubeに自主制作の映像作品を投稿している人が大勢いるわけだが、以前知った一人の投稿主へフリートークにてちょっとした質問をしてみた。

なぜかツイッターよりも気軽に行えた気がする。

交流を深めていき、人脈を広げていくことは悪くない。ほんの少しだけ踏み出せた気がする。

こんな些細な行動でも、相当な勇気を出した。昔から自己紹介なんかでは緊張はしても落ち着いて出来ていたし、ミスを指摘されたりして注目を浴びても決して恥ずかしくはなかったのだが、ネット上で自分から誰かに話しかけることが決定的に苦手なのはなぜだろう。

こんなことでこれから先やっていけるのだろうか。

 

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曲書けず。躁鬱のような、とある周期。

つべにて自主制作の映像を投稿している方々にコンタクトを取ってみようとも思ってはいるのだが、勇気が出ない。誰かと一緒にひとつの作品を作ってみたいという望みがあるにもかかわらず、誰にも伝えることが出来ない。怖い。失敗に対する恐れではない。人に話しかけることにも抵抗はない。なのに出来ない。しない。

いい加減、自分で自分の背中を押すことに対して言い訳を並べるのはやめるべきである。甘ったれた人生。非協力的に過ごした学生時代と、人間関係を軽視しすぎた20代前半。経験上で思い出せる全ての甘え、そのつけが回ってきたのだろうか。ひとつひとつの通過点で堕落していた当時の記憶が虚しく蘇る。最近では挨拶する際にも「無視されるのでは?」といった恐怖を抱く始末。いい加減にしろ。甘えるな。みんな苦労しているに決まっている。私だけではないはず。

 

曲が書けん笑。

2時間DTMもお題が難しかったため挑戦せず。誰にも相手にされないような、自己満足の作品ばかりが量産されている私の現実。まじでやばい。

やはり提供という形をとってみるしかないのだろうか。共同制作となると、どういった手順で作品を作っていくのだろう。相方の作ったモノを引き立て、さらに私が表現したいことが混在したような音楽。作れるのだろうか、私に。

 

横田進、Nujabes、イーヴリン・フィッシャー、イメルダ・メイ、奥田民生阿部義晴エリック・サティ等々、私個人としては多面的に音楽を聴いてきたつもりでいるが、肝心なところの「私の表現したい音楽」がしっかりと固まっていない気がする。いや、固めていると思ってはいるのだが、自信を持つことができていない。考えても考えても、結局いつもよく分からなくなる。仮の結論を出すしかなく、しかし釈然としない要素があるのだろう曲作りに集中しきれない日々が続く。まるで躁鬱のように「集中できる日々」と「集中できない日々」が不規則な周期で生活を支配してくる。もっといろんな音楽を聴けば良いのだろうか。来週の2時間DTMのお題に期待したい。

 

話は変わるが、私は相当他人から舐められ易いのだなと思うやりとりがあった。不快な笑い方と言い方をされた。思い返すと、昔から上から目線で何かを言われることが多かったような気がしてきた。小学生5年の頃、担任の教師に対してクラスメイトたちは基本タメ口で話しかけていた。だがある日、恐る恐る私もタメ口で話しかけてみたところ「年上には敬語を使え」と怒られた。今にして思えば先生が正しかったが、なんで私だけ指摘を受けたのだろうかという疑問が無いわけではない。ちょくちょくそんなケースがあった。何がいけないのだろうか。仕草か?髪型か?視線か?

 

昨日久々に東京在住の友人と再会し、色々話をした。あまり眠ることが出来ず今日も疲れているのでそろそろ休むことにする。特にこれといった記録もなかったが、仕方ない。一応、自身の曲を貼っておく。


【インスト】SketchBook

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今後の展開

作曲自体はともかく、公開にあたっての意識が非常に低い。

後に書くが私自身の性格が問題であり、故の行動・やる気に問題がある。

改善できる余地はあれど自信はない。

個人的な日記を付けているのは、現在の自分と当時の自分を比べるに当たって最も楽な手段としてであり、非公開のため税金やら性癖やらについてグチグチダラダラと綴ることが可能なためである。

しかし曲のリスナーを増やす方法としてブログ開設を挙げる人が多くおり、実際プロアマ問わず作曲者のブログは参考データとしてもひとつの娯楽サイトとしても面白く、ある程度リスナー数の増加に貢献している。

やってみても良いのかなと思い、この度開設してみた。

ただし前述のようなブログで人を惹きつけるために必要な物は、僅かな専門知識とそれを上手く伝える文章力だろう。

残念ながら私は大衆を引き付ける知識やエンターテインメント性は持っていない。付ける気もない。うん。

 

よって他者にとっては作曲ひいては日常生活の些細な参考にもならない独り言となる危険がある。

影響を受けた皮かむりじゃなしに、そこは避けて通りたい。

我儘であるが、リスナーを増やすための営業として考えなければ所詮は個人のブログなので、この際スマホでも手軽に見直すことが出来る利点を活かし”日常や作曲、ウェブ上でのやりとりについての反省や見直しを行う個人的そして自戒的な記録”として利用することにした(多分他にも方法があるけど面倒だからいーや)。

ボタンひとつで保存できるのは楽で良い。

 

 

今現在、多くのDTMerと呼ばれる人たちが多量のリスナーやフォロワーを獲得している一方、私は劣りに劣っている。

これは私のツイートと曲が他者の目に留まる機会が非常に少ないということになる。

①リスナーを増やすために必要なこと

  • ツイッターでの通知を怠らない
  • つべの場合、アイコンや記号などを使いサムネに整合性を出す
  • 曲の特徴について一言つけ加える
  • etc

②フォロワーを増やすために必要なこと。

  • 日常に起きたことや思ったことを積極的につぶやき共感を集める
  • 潮流や政治、世情についての持論をつぶやく
  • さっき見た良い話笑を創作する

自由に憧れて4年勤めた工場をやめたはずが、自身の性に合わないことを次々とこなさなければならない段階であることが明白となった。

やればいいのにと言われることは想像に難くないが、苦手意識はそれぞれなのだ。

今ようつべを中心に自作曲を公開している日々を送っているが、どうも欲がなく、別に聞きたい人だけが聞けばよいと思っている節がある。

これは良くない。

”音楽に造詣が深い人、そうでない人にとって、ほぼ等しい距離で触れることが出来る音楽”、”理論的な束縛を考慮しない音楽”などゴチャゴチャ理想を抱えているにも関わらず、多くの人に聞いてもらおうという意欲が低すぎる。

変われるだろうか、この歳で。

小学生のころはアホヅラで近所を走り回っていたのだが、中学高校になり友人関係における人生観の多様化を考慮に入れた生活が閉塞感を生んだ。

よくあるパターンだと思っていたのだが、同世代の者たちは普通に上手くやっている割合が多いらしい。

同類をDTMerに求めても無駄だろう。

ツイッターを見る限りでは皆わりと積極的に動き回っている。まあそうでなければ不特定多数から見える所に出てきてないか。

そんなにフレキシブルかつエネルギッシュに生活することは私には真似できない。

ゲームを買ったとして、今の時代的に「実況でもして小遣い稼いでみれば?」と言われたとしても、興味のある数少ない娯楽を私の経済状況とリンクさせて考え行動するのは疲れる。

 

成長とは克服のことである、とすれば辛い。

成長とは辛いものか。否、目的を持ったことで辛い道が付随したのか。

まーたゴチャゴチャ言ってんなコイツ。

 

③今後の展開、取るべき行動

2時間DTMに参加している。

結果、プロフィールへのアクセスやツイートに対する反応が参加前に比べて飛躍的に増えた。

これは継続すべきイベントである。

2時間ではミキシングにかける時間をかなり考慮しなければならず、さらに与えられた課題に対してどうしても印象主義的な作品は作りにくい場合がある。

感情に刺激を与える情緒的なメロディを考えることが決定的に苦手且つこれに関しては表現を深めたいと思わないので、テーマによってはスルーするのも別に良いものとする。

また平日は働いているため(バイトだが)時間がなく、土日に与えられる課題をこなしていく。

①に関しては問題ないが、単体では結果が期待できない。

というのも、丁度2年前から半年間、働かずに作曲活動を行っていたのだが、支持者が全くいない状態ではやはり誰も聞いてはくれなかった。

相乗効果に期待をするならば、肝心なのはやはり②である。

ツイッターを積極的に活用する。自分の作品ではなく、気持ちを伝える。

気が向かない。

お得意先を集めるためにマイクを持って感傷的な街頭演説をするような気分に近い。

同窓会や飲み会に行きたくない層の方は、この気持ちがわかるのではないだろうかと勝手に思っている。

それは自身の生活に影響を及ぼす危険を孕んでいるような気がするのだ。

思い通りに曲を作ることができ、代わりに大成するチャンスがなくともある程度の平穏が約束された毎日。

そんな規則正しい生活を支えているのは、平凡ならがに穏やかな心身である。

この心身状態を誰かに弄りつつかれることは、時に友人であっても我慢ならないのだ。

それは具体的にどういう状況か。

私の理屈ありきの行動を、根拠のない意見で強く否定された場合である。

人生経験の長い人に対して、私は聴きたいことがない訳ではない。

言ってしまえば説教を受けることも苦ではない。大概の場合、立派な根拠を提示してくださるだめである(理不尽でない人としか酒を飲んだことがないからか?)。

だが出来れば行きたくはないというのが本音である。

無関係以上友人以下。フワフワとした関係である以上、やはり己の思想に触れられることは快くない。

自身を見せたらつつかれる。だから見せたくないのだ。

東京オリンピックについてこう思う、死刑制度についてああ思うなどは、既にある意見の中に私なりの答えがすでにあることが多いし、さっき見た高校生のカップルがこう言ってた的な出来事なんてねーし考えねーよ笑。

つまり②をクリアするためには天邪鬼を殺す必要があり、今まで消極的であった側面を出していくしかない。ひょっとしたらそんな人生の方が楽なのかもしれない。

たとえツイッター上でのみ仮面を被れば良いとしても耐えられないだろう。

どないせーっちゅーんど。

 

とにかく2時間DTMは続けようと思う。

他に手ごろなイベントはないかも調べてみるか。

 

アルコールを注ぎながら書いたため、支離滅裂な文章になっていないか心配であるが、こういう具合に記録していく方が気が楽だ。

 

最後に、現在のつべの登録者数とツイッターのフォロワー数を記録しておく。

辛いけど続けていく。

 

チャンネル登録者数:32人

フォロワー数:74人