展転白書

作曲面、日常とウェブ上でのやりとりについての反省や見直しを行う個人的そして自戒的な記録。

涼しくなってきた

チャンネル登録者数:32人 ±0

フォロワー数:105 ±0

てゆーか普通に下書き保存できたわ。

 

 先週と本日に久々に投稿した楽曲。

 

 

ピアノの音域は調節することが難しいように思えてならない。

DTMの当たり前

作曲と編曲を分け隔てて考えたことはないが、所謂”一般論”との乖離はやはり順当なステップを踏んで学ばなかった時期が原因なんだろうな。そしてその影響はEQを使用してでの音域の調整にも及んでいる。あまり意識していなかったが、作曲における何かしらの障壁の前に立たされた際に参考文献を見ていても、そこに至る過程で自己流の軌跡を残してしまっているが故、お手本と自分の現状の間にとても大きなズレがあるのだ。音域はそのズレを顕著に示す。貧乏人ということを言い訳にできる歳でもないが、投資すべきところには注力すべきであったということ、そして基礎的なもの(曲作りにおける至要たる知識)から順に従い学ぶべきであったという2点を疎かにしたことが落ち度の集合体となり、今になって無視できない場所にあることが目視で理解できるようになってしまった。目障りなことから逃げ続ける私の性格。舐めすぎだろ世の中を。

この一週間、解決へ向けて動いている。資金が足りない今でも出来ることはある。まずは低音域に着目すべし。ここへきて二十歳前後にインポートしていた数々の楽曲がとてもとてもとてもとてもとてもとても参考になっている。特に、音作りにこだわりをもっているとされる奥田民生の関わった楽曲で勉強している。ユニコーン復活後の「蘇る勤労」の一発目に演奏した「ひまわり」を例にすると30~40Hzの時点で約2.0db出ているのに対し、私の今までの楽曲はそれを遥かに下回るものであった。過去に参考としてきた「低音域はカットする」という文面を、おそらく額面通りに或いは曲解して信用していたのだろう。私の作っているのはEDMでないにも関わらず、その分野の知識を半端に学んでいたことも原因として挙げられる。

ポイントはバスドラムである。彼らの主張をどの程度まで許すのか。私はEDMやテクノでよく耳にするような強すぎるキック音は好まないのだが、この音は中~高音域に拘った楽曲に限った特徴であると認識したほうが良い。キックの音が完全に主役として扱われている楽曲なのだと考えるべきであった。したらばピアノが主体となる楽曲を作った際には、バスドラムは低音域が主な活用範囲と考えるのが妥当である。こうやって文字に書き起こしてみると至極当然の話だ・・・。

全ての音が揃い、それぞれの音の調節を行う工程がマニュアル化されていない事は、私にとって凶と出ていると思われる。曲によって臨機応変に対処してきたが、私には合わないようだ。DTMの当たり前というものがこの世にあるのなら、誰も苦労していないのだろうか。否、あるからこそ苦労しているのではないのだろうか・・・。それとも私だけなのか、ここまで愚かな見落としをしているのは。とにかく、現状で対処できる要素を整理し、一つずつ片付けていくしかない。

 

DTM(インスト)の魅力

聴き手側との一体感なるものを求める必要性が低いことだと考えている。少なくとも「必ずしも必要なもの」ではない。私は好きなアーティストのライブに足を運んだことがない。

「オイ!オイ!オイオイオイオイ!」←みたいなことが出来ない。

個性を大切にしろという感じの音楽は多いが、ライブの完成度は個ではなく集、つまり協調性によって完成度が決まるような気がしてならない。しかしそれもそのはず、そのアーティストを支持する・愛している人の集まりなのだから。それでもやはり細かい溝に目が行ってしまう。「ホントに俺のこと分かってんのか?」という謎の超上から目線で直立してしまっている自分が簡単に想像できる。昔からこの調子のため、自分を守る道を優先して考え、好きな物が同じ人間と共にはしゃいだことがあまりない。多分、高校2年のあたりからだ。ああ・・・・。

 

・・・・ああ。

先週書いた「共通の視点を持つ人々と語り合う場所がない」のは、来るべくして訪れた現実なのだな。分かってはいたが苦しい。どっちの人間性へ転がっても苦しい。

話を戻すが、その点DTMで作曲可能なインストは協調性よりも共有性に重きを置きやすい。その上標題音楽を作ることに関してはこれ以上利用しやすい環境は他にないのではないか。喜んで良いものかどうかは分からない。

酸っぱいブドウにならないようにしなければ。どうせなんて言いたくはない。

調

ロ長調の楽曲をあまり作ったことが無いことに気が付く。

シ ド# レ# ミ ファ# ソ# ラ# シ

黒鍵を全て使用することが可能。上手く活かした音が前後にどのような影響を与えるのかは全く不明。Bmならばとっつき易いのだが。ショパンが好んで使っていたとされているようだ。

それはそうと、先週サティに影響を受けたと記したが、改めて調べてみるとまだまだ彼に対する認識が甘いのだと痛感せざるを得ないような情報が多量に出てくる。初めて聞いた曲や好きな曲から受けたイメージが先行しすぎてしまっているのだろう。反省。印象派の代表格といえばドビュッシーラヴェルになるようだが、家具の音楽と称されている彼の音楽は、環境音楽というよりはむしろ自分の時間をその曲のために使い嗜みたい音楽に思われるのだが。うーむ。

 

====================================

しつこい様だが音域の問題は大きい。私の頭の中にどれほどの量と質を詰め込めるのかは不明だが、時間をかけてでも整然とした手引を作成する必要がある。

 

仕事用の靴を買うために日の出前にドンキへ出かけた。水曜日のリニューアルに伴う改装のためシャッターが下ろされていた。なぜこんなことばかり起こる。

しかし事前に調べておくことも出来たかもしれない・・・。はあ。

酒を飲んで寝る。また一週間が始まるのか。4分の3ほどはつまらない時間で埋め尽くされたスパン。金のために働き、その金も働く人のために使われる美しいほどに滑らかな循環。お金を儲ける仕組みの中で、多少の理不尽はあれど実力により見せつけられる経済力や容姿の差。募りに募る劣等感。勉学を怠った結果。いやそれだけではない。この敗北感の原因のうち、正体がまるで不明の得体の知れない素因が複数存在している。どうしてここまで自分を嫌い、勝手に挫折するのか。いつもそばにいてくれる人が誰もいないからか?もうね、魚になりたい。魚に。物凄く小さいやつがいいやね。はぐれたら食われる弱肉の雑魚。